吉田松蔭が鎖国時代の江戸にも関わらず外国人と臆せずに話せた理由


開国

江戸時代の日本は鎖国をしていたにもかかわらず、吉田松陰や坂本龍馬といった偉人たちは外国人に臆することなく、なぜ話をすることができたのでしょうか。

江戸時代の日本は、小さい国の集まりだった。

私が大学で学んでいるとき、国際金融を専門とする教授がこんな質問をしました。

なぜ江戸時代の維新志士達は、外国の人達と話すことの抵抗が低かったのでしょうか?

江戸時代の日本は、領地によって言葉もルールも違い、まるで別の国のようでした。会津藩と長州藩では話す言葉も信じていることも違いました。つまり、隣の領地の人と関わるのは同じ日本にいても、外国の人と関わるのと同じような感覚だったのではないか、という話です。

江戸時代の日本は、江戸幕府が治める連邦国家に近かったので、自分の常識とは異なる海外の人達と話すことに対して抵抗が低いのではないかとのことでした。このような背景や環境によって、吉田松陰や坂本龍馬に代表される数々の維新志士達も積極的に、外国の人々と関わっていったのでしょう。

反対にヨーロッパは陸続きなので、三カ国隣の国が侵略されたとしても自国でも戦争が始まる可能性があると、当時の人々は心配したそうです。

島国の日本。大陸続きのヨーロッパ。同じ国家でも、そこにいる人々が感じることには大きな差がありました。

そう考えると、一体『国家』とは何なのでしょうか?

宇宙から地球を見たとき、私たちは国境を見ることはできません。国というのは私たちの社会認識の中に存在するものであり、国と国との境界を定める国境もまた同じです。そのように考えると、私たちの認識や考え方一つで、日本と外国との距離は変わります。人は未知のものに恐怖を感じるものですが、変化を恐れず私たちが少しずつ行動をしていくことで、恐怖は克服することができるようになります。

日本の市場だけでは、生きていけない時代がやって来る

私たちが住んでいる日本は世界的に見てもとても大きなマーケットで、今までは日本国内だけの経済活動を考えていれば問題ありませんでした。

しかし、これからは違います。少子高齢化が進み人口が減っていく中で、消費購買力も生産力も減少していく可能性があります。そのような環境変化が起こる時代に、これからも豊かな生活をしていくためには、海外との価値観の違いや考え方の違いを柔軟に受け入れ、対応していくことが大切です。

自分の中にボーダーを作らず、江戸時代の維新志士達のように行動をしましょう。インターネットはもちろん、現在の日本のルールも私達が海外に出て行く後押しをしてくれています。

旅行でもビジネスでもインドに行くなら、英語は必須!

インドの公用語は、ヒンディー語と英語。そのため、旅行でもビジネスでも、インド人と円滑なコミュニケーションを取るためには最低限の英語はなくてはならないものです。

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